2017年 01月 13日 ( 1 )

日野市のSさんのこと

昨日、日野市のSさんから寒中お見舞いの葉書が届いた。
てっきり、昨年喪中葉書を出したから、その年賀状代わりだと思ったのだが、文面を見て愕然となった。

昨年11月、喪中葉書を見たSさんから電話を頂いたのだが、妻との思い出を話されている最中に泣かれたのには困惑してしまった。
その時、奥様もガンに罹っていて保険外の陽子線治療を受けているのとことだった。
快復に向かっていると話されていたが、昨年暮れ、急逝されたとその葉書に書かれていた。

北海道100名山を幾つか一緒した札幌のUさん以外読者には関係のない話だが、これからSさん(と奥様)の思い出を書こうと思う。

Sさんとは、私が利尻島赴任中の平成6年6月、利尻山沓形コースを下山中に出会った。
テントや寝袋など25kg以上ありそうな大型ザックを担いだSさんは、急斜面の登山道に刈られたばかりの笹が、そのまま処理されず滑りやすい状態だったので、何度か転倒し起き上がるのが大変そうだった。
後ろからそれを見、そこから登山口まで一緒した後私の車で沓形のキャンプ場まで送った。

東京の山岳会に所属し、海外の遠征経験もあるSさんと2年後の平成8年7月、幌尻岳と戸蔦別岳に登る事となった。
北海道の山なのに、Sさんにガイドされカール下の七つ沼でたった二人きりのテント泊は、生涯忘れないだろうと思う。
雪渓から沼に流れ込む水は清く冷たく、テントの回りに広がるお花畑と、夕陽に赤く染まってゆっくり流れる雲をただただ呆けたように眺め、まるでここは天国かとの思いだった。

下山後我が家に泊まってもらい、妻の料理を味わった翌日は樽前山へご案内した。
Sさんが帰京した数日後、アウトドア専門店「カモシカ」オリジナルの大型ザックが礼状と共に送られて来た。

それから7年後の平成15年7月、私と札幌のUさんは、Sさんの貸家に泊めてもらってSさんの山仲間と一緒に富士山に連れて行ってもらった。
山頂で、測候所の職員から所内を見て行って下さいと言われたのが懐かしい。
翌日は、槍ヶ岳も案内してもらう予定で出かけたものの、雨天のために手前の小屋から引き返した。

翌年の平成16年7月、ピパイロ岳にテントを張り、Sさんや札幌のUさん達4名で2泊して伏美岳から戸蔦別岳までピストンしたが、自分用の水だけでも9リットル以上担ぎ上げたのは辛い思い出だ。
だが、北戸蔦別岳のお花畑で、雪渓の雪とコンデンスミルクでご馳走したかき氷に、Sさん達の大喜びした笑顔が鮮明に思い出される。

それから2年後の平成18年の7月、二人で美瑛富士の避難小屋に泊まり、富良野岳からオプタテシケ山まで歩き、十勝岳経由で下山したが、この十勝岳の登り返しは蟻地獄にはまったようで大変辛かった。

そして、定年退職した翌年の平成20年9月、丹沢山系の100名山を巡った後、Sさん宅を妻と訪ね、ご夫妻から歓待を受けた。
ステンドグラス作りが趣味の奥様からスタンドをプレゼントされ、今我が家にあるそのスタンドが奥様の遺品となってしまった。

愛妻家だったSさん、これからの日々を思うとおかけする言葉が見つからない。
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写真の私が被っている帽子は、Sさんがネパールに遠征に行った際のお土産だが、暖かいからと今まで妻がずっと使っていたもの。妻が亡くなった今は私が使っている。1月7日多峰古峰山でMさんの撮影

by tarumae-yama | 2017-01-13 07:52 | 日々の出来事 | Comments(2)