今回の宿は、礼文島の北にある船泊の民宿「ゆうなぎ」に2泊ともお世話になった。
この宿は、平成5年家内と礼文島観光に初めて訪れたときに泊まった。 それ以来、今まで9回礼文島へ出かけたが、宿泊は全て「ゆうなぎ」である。 部屋そのものはTVひとつあるだけでお世辞にも立派な物とは言えないけれど、何よりも梅田さんのつかず離れずさりげないもてなしが良かった。 勿論、新鮮な海産物を使った食べきれない程の料理は言わずもがな素晴らしかった。 だから、夏の時期「ゆうなぎ」の予約を取るのは大変で、過去に満室のためバスの乗務員用の宿舎に泊まったり、梅田さんの自宅の部屋に泊めて頂いた事もあった。 しかし、数年前にそれまでの板前さんが辞めてからなのか、売り物の料理に精彩を欠くようになってきたようで、今回部屋の半分以上が空室であったのは一概に不景気のせいばかりではなさそうだ。 現在若いお孫さんが板前をやっているが、おじいちゃんのためにも以前の繁盛ぶりを復活させるべく精進して欲しい。 礼文島の出迎え風景、右端はフェリーの見送りの賑やかさで有名なユース「桃岩荘」 民宿「ゆうなぎ」の全景、一階は商店になっている。2日間とも朝4時半のウニ漁の防災無線放送には全員寝不足になった 夕食の料理 ソイの活き作りとボタンエビは梅田さんからの差し入れ ウニ丼も主から我々への特別サービス 到着した日が梅田さんの82歳の誕生日、奥さんを昨年8月14日に亡くされたそうで、その日は私達夫婦の初孫の誕生日だから何か不思議なものを感じる。隣は孫で板前さん
by tarumae-yama
| 2009-08-10 14:03
| 旅
|
Comments(4)
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高橋 武
at 2020-04-20 22:46
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私は夕凪さんには毎年夏には1週間(宿泊は全部夕凪さんです)22年間お世話になりました。おそらく私が一番長く通ったお客だと自負してます。最初の2~3年は1回が商店の2階の民宿でしたが、その後は社長が建てた別宅(夕凪とその2軒となりのスナックパーラーなぎさの間の別宅の1階の個人宅で自分の家のような待遇でした)パーラーなぎさは夕凪さんの息子が経営してた店です。その子が写真に写ってる板前です。
夕凪さんの料理は山梨出身の外山さんが板長してた時が最高でした。その外山さんが酒豪で体を壊し山梨(河口湖そば)に帰りその後2~3年で亡くなりました。 又賄いを手伝ってた近所の主婦の山口さんもとっても気さくな人で毎年楽しい旅行ができました。私と共通な思いをした方と是非ともコンタクトがしたいです。
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tarumae-yama at 2020-04-21 11:28
高橋さん
コメントを有り難うございます。 22年間も「夕凪」にお世話になったのですね。 語り尽くせないほど沢山の想い出があることと思います。 私は何時も妻と一緒に泊まりましたが、すでに梅田さんご夫妻が逝去され、店もなくなって淋しい限りです。 妻を亡くした今、礼文島や利尻島へ訪れることはもうないと思っています。 ですが、想い出を大切に日々元気に過ごせたらとは思います。 久しぶりに「夕凪」や礼文岳登山など礼文島のことを懐かしく想い出しました。 蛇足ですが、梅田さんは島の観光協会だったかの会長をされていて、また、お嬢さんの夫が外務省に勤務しているとかで、随分視察や遊び等で新千歳空港を利用していたようです。 当時、妻はその空港のレストランで働いており、梅田さんが新千歳空港を利用するときは何度も○○さんいるかい?と訪ねてくれ、実の娘のように接してくれたそうです。 妻にとっても、素敵な礼文島のお父さんだったようでした。 また礼文島に訪問できたら良いですね。 長いコメントを本当に有り難うございました。
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at 2021-03-19 21:04
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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tarumae-yama at 2021-03-20 17:45
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